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日記です

ブラックホールとペンタゴン

 早起きは三文の徳、の三文が60円ぐらいという話は既に広く知られており、かような微額であれば寝ていた方がいくらかましであろうという風潮があるが、ここは少し冷静になって考える必要がある。

 60円かけることの365日で21,900円、これを仮に死ぬまで続けたとしてだいたい80年、総額で1,752,000円、早く起きて活動している人間と欲望のおもむくままに睡眠をむさぼる人間、その間に生まれる価値のひとつとして、この200万弱、あまり無視できない額といえるのではないだろうか。

 200万円、確実にほしい。

 しかもこれの発端は、ことわざのように大衆化、一般化された表現であり、どんなに馬鹿でも早く起きて脳を使っている限りは60円ぐらいの価値がある、ということを指し示している。過去の日本のような比較的格差の大きな社会において生まれた言葉であることを鑑みればそれは明白である。つまりこの60円というのは、ある程度は下限側に振られた値であり、実態は個人によって差の出る数値であることを理解しなければならない。

 仮に現代における年収200万の環境において、早起きは三文の徳=60円が成立するとしてみよう。おおよその年収額が早起きして活動することによる利得である、という仮説が成立する。

 この仮説が意味するところはなにか。早く起きることで生涯において一年分の収入を増すことができる。つまり惰眠をむさぼる人間よりも、一年分多く働くことができるということに他ならない。

 一年分多く働くことができる。最悪である。早起きなんてするものではない。