notepad.exe

日記です

汚いコードについて書きます

 コードが汚いとひとくちにいっても、まあもちろんすごく汚くて、やばくて、アホが書いたみたいなやつも事例としては珍しくないけど、ある一定のしきい値をこえると、汚いというよりは主義思想が異なるゆえの嫌悪感みたいなのが先行することが多いだろうなあと思っていて、たとえばコメントを詳細に書きたい人がいる、一方で必要最低限という主観に沿ってわずかなコメントを残す人もいる、あらかじめガチガチに抽象化した実装を好む人がいる、一方で後で必要になったときに抽象化すればいいやと考える人もいる、動物が表紙のベストプラクティス的な書籍に忠実な人がいる、一方でその書籍に対して部分的に疑問を抱いている人もいる、といったような、まあ、端的にいってしまうと書いた人それぞれのパーソナリティによって非常に差があって、それはコードが汚いというよりも、むしろ思想の差分である、という結論に至れば平穏にすむものの、コードの裏に潜む経緯によって、たとえば引継ぎをろくにせず放り投げたとか、バグによって職務上の被害を被ったとか、個人的にむかつくやつが書いたとか、そういったバックグラウンドがあると、客観的にみてたいして汚いといえないものでも、汚いというジャッジをする人がそれなりにいるように思う、コードが汚いという表現はすごく雑なものだし、あまりカジュアルに使わんほうがいいのではないか、ソフトウェアエンジニアリングで飯をくってない人なら、なおさらのことである。というようなことを今日は考えていた。nasneを開封します。