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日記です

複数のアイデンティティを持つことは誠実さを欠いた例である

 接客業で理不尽な客の相手をしてストレスになり、それをインターネットで「こういう理不尽な客がいて、むかつく。死ねや」みたいなことを書いて苛立ちを散らせるという行為は社会上の必要悪だと思っているのだけど、戸籍上の名前をもって仕事とネットのアイデンティティを統合させよ、みたいな世相になりつつある昨今なので、たとえば前述のような使いかたは主にコンプライアンスがどうこうという理由で制限される。このような状況について、大丈夫なのかな、やばいんじゃないかな、と客観的に感じている。 

 大学や高校の人間関係がそのまま仕事になっているというのは学生起業とかしてればあるかもしれないけど、まあ稀な例だろうし、仕事におけるアイデンティティは仕事をすすめる上で形成されていくというのが一般的だと思う。そうして仕事の上で形成されたアイデンティティをネット上でも流用せよ、既存のものに上塗りせよという話になっている。そうするとインターネットにいる大人の多くは品行方正な社会人で、おかしなことひとつ言うのも許されない。おかしなことは言えないのでお茶をにごすように食った飯の写真や子供の写真を流通させる。正直そんなものはみるたびどうでもいいと思ってるし、たぶん流通させてる側もどうでもいいと思いながらやってるんだろう。そうしてインターネットが徐々にどうでもいい世界になっていく。やばいと思う。

 一方でネットにおけるアイデンティティが先行している人もいて、そういう人が組織に所属しようとする際にインターネットでどういう活動をしているのかを申告させられる可能性が高い。うまく隠さないとわりと簡単にトレースできる。過去にリスクのある発言をしてたら消す必要あるし、今後はそういう発言ができない。やばいと思う。

 これまでインターネットはいろいろな見えなかったものを見えるようにしてきたし、負の感情や表現を隠していくみたいな方向はちょっと違うと思う。それよりも下品で汚い大人がもっと自由に発言できるほうがいい。もちろんその行為自体が現実におけるリスクにならないような仕組みを考えなくてはいけないんだけど、それについてアイデンティティの統合を強制することは、ある程度反目しあうテーマなのだよなあと。選択する自由と許容する自由がほしい。